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2008.06.26 (Thu)

出来損ないとしても

この広い世界の、沢山溢れる人間の中に埋もれている、ボクという1人の人間など、とても小さな存在だ。そしてこの世界のどの人間も、同じようにとても小さな存在であり、その小ささにおいてはどんな人間も平等である。

そうした小さなものが集まってこの世界ができているのだから、1人の人間を殺すことは、すべての人間を殺すに値する。
だから、1人を殺す行為も、複数を殺す行為も、その意味合いは等しいように思う。

同様に、もし誰かの存在を軽んじ、ないがしろにしたならば、それは多くの人々を軽んじ、ないがしろにしていることになる。


ボクもまた、人並みに他者を憎むし、羨む。そうした気持ちがボクの中にどうしようもなく沸き起こる時には、その憎い他者はボクでもある。人間である他者を真っ向から否定するなら、同じく人間であるボクは、自分を否定することになる。


自分を信じること、他者を信じること、ひいては人間を信じること。・・・それができないくらい犯罪の渦巻くこの世界。

なんて矛盾!

人間って出来損ないなんだろうか?
そうだとしても、出来損ないでも消滅できないのだから、彷徨いながらも向きあいたい。

テーマ : 文明・文化&思想 ジャンル : 学問・文化・芸術

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*Comment

僕もまだ人生31年ですが、思い起こせば、それなりに軋轢があって
戦ったなぁ、と思える人が二人います。

一人は高校の音楽の先生(僕が所属していた吹奏楽部の顧問だった)
で、もう一人は、新卒で入社した会社の課長です。
先生は、僕との戦さのしばらく後に退職し、(僕との関係だけでなく、別件
でもいろいろ問題のある教師だったようだ)、
課長との戦では、僕は、自分がいつか辞めるつもりだったので、一緒に
辞めざるを得ないようにしてやろうか、とまで考えたことがあったのを思い
出します。

お互いに出会った場所や立場がが違えば、何の軋轢も起きずに、
過ごせたかも知れないと思いましたが、人生の全てに何かしらの意味が
あるとするならば、そういう出会いからも何かしら学ぶべきものがあると
考え、その後、じぶんなりの意味付けを模索して心の整理をしました。

今では、そんなこともあったなぁ、と、過去の自分を思い出します。

人間が「人を憎む感情」を持つものとして存在する理由を
考えます。

憎むことによって、あるいはその憎しみを何かに昇華させて超えたり
することによって、その個人が、自己の新たなレベルへ進化する、
というようなプラス方向へ向かうことを信じたいものです。
しまっち |  2008.06.28(土) 21:20 |  URL |  【コメント編集】

■★しまっちさん

人生において、戦わなければならないような存在というのは、そうしないと自分の存在に関わるような状況が、そこに展開していると思います。

人生を過ごしていくうちに、子供たち、立場の弱い者たちは、必ずそうした場面に向き合う時がきますから、それを回避することもなく、あっさりと迎合してしまうのでもなく(それまでにはそうした方法をとっていたけれども)、それが戦う場面だと察知できれば、その先に成長が待っています。

来るべきこの時に、自分が何者かを多少なりとも知っていれば、迎え撃つことができるでしょう。

他者を憎むことと、他者に投影された自分を憎むことを区別することは難しい。他者の中に住む自分を回収できれば、他者は憎む存在ではなくなっていくのだと思います。
物事のやりとりの中に、常に存在するこれらの行き来は、人を混乱させる大きな要因でもありますが、愛のやりとりでもあるのだと思います。
ロビン |  2008.07.08(火) 21:38 |  URL |  【コメント編集】

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