2008.09.07 (Sun)
物語の主人公
本を読んでいて、時々内容が頭に入ってこなくて、何度も字面だけを追っていることがある。そういうときは結局未消化になるので、軽く読んで先に進んでしまえばいいのかもしれないが、何度か足踏みをしている時がある。
高校生の時、いわゆる文学作品を読む時に、特にそういうことがあった。トーマス・マンやモーム、ドフトエフスキー・・・今思えば、高校生には早い内容だったが、理解できない頃に目を通しておくことも悪くなかったと思う。
その頃ボクは早く、世界の真実を知りたかった。
これらの小説は、どれも勧善懲悪ではなく、子供が思いを肩入れするようなキャラクターはいない。主人公は悩み、苦しんでいることが多く、自分を投影し続けるには少し受け入れがたい。悪事や不貞を働き、あるいは裏切りを、また救われないような騙され方をする・・・読んでいても不愉快になるような、重苦しさを、主人公を通して体験していく。
自分自身が、物語の主人公と同じように矛盾だらけの苦しみを背負った“人間という存在”だと、ぼんやりとは解りはじめているが、まだリアリティがない。そんな時代に読んだ物語は、悪い夢の様な後味だった。
子供向けに書かれた本のスタイルは、主人公が子供の自己投影に値する人物像で書かれていることだろう。それは、人物像にきちんと筋書きがあって、安心して自身を預けられるような存在だ。
そして、大人に向けて書かれた物語は、主人公自身の人格も、立場も、安定を掴んだ先からまた揺らぐ、不安定な存在だ。その不安定さの中に紛れて実は確実さがちゃんとあるのだが、その確実さは、読み手が自分の中にも確実さを見つけていないと、見えてこないように仕組まれている。簡単には見えないからこそ、人生を掛けて求めつづけ、生きる動機にもなりうる。
この世の真実があるのだと、大人になった今でもボクは信じて、追い求めている。
高校生の時、いわゆる文学作品を読む時に、特にそういうことがあった。トーマス・マンやモーム、ドフトエフスキー・・・今思えば、高校生には早い内容だったが、理解できない頃に目を通しておくことも悪くなかったと思う。
その頃ボクは早く、世界の真実を知りたかった。
これらの小説は、どれも勧善懲悪ではなく、子供が思いを肩入れするようなキャラクターはいない。主人公は悩み、苦しんでいることが多く、自分を投影し続けるには少し受け入れがたい。悪事や不貞を働き、あるいは裏切りを、また救われないような騙され方をする・・・読んでいても不愉快になるような、重苦しさを、主人公を通して体験していく。
自分自身が、物語の主人公と同じように矛盾だらけの苦しみを背負った“人間という存在”だと、ぼんやりとは解りはじめているが、まだリアリティがない。そんな時代に読んだ物語は、悪い夢の様な後味だった。
子供向けに書かれた本のスタイルは、主人公が子供の自己投影に値する人物像で書かれていることだろう。それは、人物像にきちんと筋書きがあって、安心して自身を預けられるような存在だ。
そして、大人に向けて書かれた物語は、主人公自身の人格も、立場も、安定を掴んだ先からまた揺らぐ、不安定な存在だ。その不安定さの中に紛れて実は確実さがちゃんとあるのだが、その確実さは、読み手が自分の中にも確実さを見つけていないと、見えてこないように仕組まれている。簡単には見えないからこそ、人生を掛けて求めつづけ、生きる動機にもなりうる。
この世の真実があるのだと、大人になった今でもボクは信じて、追い求めている。
| BLOGTOP |



