2008.11.16 (Sun)
3声の曲
金曜日は、久しぶり(何と1ヶ月ぶり)のピアノレッスンだった。その間色々仕事や私用で忙しく、今までになく間が空いて、ちょっぴり不安な気持ちで先生の家に向かった。
現在取り組んでいる4冊の教本のうち、プレ・インベンションはあと2曲を残すのみ。その、最後から数えて2曲目は、ヘンデルのサラバンドという変奏曲だ。テーマとバリエーションが2つ、全部で3つの楽譜で構成された曲は、ことのほか、2つ目のバリエーション1が難しい。
残す音が多く、パズルみたいだと難儀しながら練習し、いざ先生の前で弾いたら、そうじゃない、と速攻指導が入った。
『このパートは3声だから』と言われても、はあ、としか言えなかった。何しろ弾くのに精一杯で、自分が何を弾いていたのか、思い出せないくらいだった。
しばらくしてから、常日頃バイオリンの先生が、『最初の観客は自分自身よ』と言われたことを思い出した。『まずは自分に聞かせて、次に私に聞かせて』と言われた。独りでそれなりの音で満足してちゃいけないのだ。
3声ということは、3つの旋律があることになる。この次のインベンションでさえも2声なのだから、これはこのレベルとしては難しい曲だと慰めて?もらったけど、この曲を飛ばして先に進むわけにもいかない。
まずは3つのパートを別々に弾いて、メロディを知ること、それから2つずつ組み合わせて3通り弾いて、それから3つ合わせて弾くように言われた。
合わせる時には、3つのメロディを聞き、どのパートが主かを考えて、歌うように弾いてみなさい、と指導を受けた。
さあ、どんな風に変われるか、不安の中に少しの期待をのせて、練習に取り組もうと思う。
何と言っても、この先にバッハが待っていると思えば、モチベーションも上がるというものだ。
現在取り組んでいる4冊の教本のうち、プレ・インベンションはあと2曲を残すのみ。その、最後から数えて2曲目は、ヘンデルのサラバンドという変奏曲だ。テーマとバリエーションが2つ、全部で3つの楽譜で構成された曲は、ことのほか、2つ目のバリエーション1が難しい。
残す音が多く、パズルみたいだと難儀しながら練習し、いざ先生の前で弾いたら、そうじゃない、と速攻指導が入った。
『このパートは3声だから』と言われても、はあ、としか言えなかった。何しろ弾くのに精一杯で、自分が何を弾いていたのか、思い出せないくらいだった。
しばらくしてから、常日頃バイオリンの先生が、『最初の観客は自分自身よ』と言われたことを思い出した。『まずは自分に聞かせて、次に私に聞かせて』と言われた。独りでそれなりの音で満足してちゃいけないのだ。
3声ということは、3つの旋律があることになる。この次のインベンションでさえも2声なのだから、これはこのレベルとしては難しい曲だと慰めて?もらったけど、この曲を飛ばして先に進むわけにもいかない。
まずは3つのパートを別々に弾いて、メロディを知ること、それから2つずつ組み合わせて3通り弾いて、それから3つ合わせて弾くように言われた。
合わせる時には、3つのメロディを聞き、どのパートが主かを考えて、歌うように弾いてみなさい、と指導を受けた。
さあ、どんな風に変われるか、不安の中に少しの期待をのせて、練習に取り組もうと思う。
何と言っても、この先にバッハが待っていると思えば、モチベーションも上がるというものだ。
2008.06.24 (Tue)
歌の導き
現在レッスンで使用している教本『プレ・インベンション』は、バロック時代の曲集であるから、奏法もバロック奏法となる。
バロック奏法といっても、ボクが把握しているのは、次の2点だけだ。
・左手と右手それぞれにテーマがあり、交互にメロディを繋いで弾いていく。テーマを弾いている時、もう片方の手は伴奏として弾くことを意識する。
・スタッカートは音を切って弾く記号である。現代音楽のスタッカートのように、鋭く短く弾くのではない。
どちらもとても難しいが、今難儀しているのはスタッカートだ。次の音までギリギリ待ちつつ、切って弾こうと意識すると、何だか重たいメロディになってしまうのだ。
このスタッカートの奏法は、その時代の楽器に由来するのではないかと思う。バッハらが活躍した当時、まだピアノは無く、チェンバロやオルガンが主流であったからだ。
ところで、先生に指導を受けている時、先生が横で歌ってくれるので、その歌声を表現するように弾くと、出したい音に多少なりとも近づけるような気がする。バイオリンの先生も、弾けない箇所はまず歌わせるし、歌を意識することは、楽器を演奏する上では重用なのかもしれない。
すると、声というのは、最高の表現力を持っているということになるのだろうか。
自分の一部である声を楽器とする手段と、楽器という自分以外の対象を扱う手段では、人の内界における在り様はかなり違いそうだ。
バロック奏法といっても、ボクが把握しているのは、次の2点だけだ。
・左手と右手それぞれにテーマがあり、交互にメロディを繋いで弾いていく。テーマを弾いている時、もう片方の手は伴奏として弾くことを意識する。
・スタッカートは音を切って弾く記号である。現代音楽のスタッカートのように、鋭く短く弾くのではない。
どちらもとても難しいが、今難儀しているのはスタッカートだ。次の音までギリギリ待ちつつ、切って弾こうと意識すると、何だか重たいメロディになってしまうのだ。
このスタッカートの奏法は、その時代の楽器に由来するのではないかと思う。バッハらが活躍した当時、まだピアノは無く、チェンバロやオルガンが主流であったからだ。
ところで、先生に指導を受けている時、先生が横で歌ってくれるので、その歌声を表現するように弾くと、出したい音に多少なりとも近づけるような気がする。バイオリンの先生も、弾けない箇所はまず歌わせるし、歌を意識することは、楽器を演奏する上では重用なのかもしれない。
すると、声というのは、最高の表現力を持っているということになるのだろうか。
自分の一部である声を楽器とする手段と、楽器という自分以外の対象を扱う手段では、人の内界における在り様はかなり違いそうだ。
2008.06.10 (Tue)
左利きのピアノ
バイオリンとピアノと2つの楽器を触っていて、大きく違うと思うところのひとつは、ピアノは自ら伴奏をするけれど、バイオリンは主旋律だけ、ということだ。
今やっている『ソナチネアルバム1』という教本は、大旨右手でメロディを、左手で伴奏をする。右手はスラーやスタッカート、クレッシェンドやデクレッシェンドなど、表情豊かな記号がついていて、弾いている時の意識は殆どそちらに吸い取られる。
対して左手は、レガート、もしくはドルチェなどと書かれていて、主旋律の邪魔をしないように、引き立てるように弾かなければならない。その左手に向けられる注意力が不足していて、殆どただ弾いているだけ、というのが今のボクの弾き方だと思う。・・・こうして書き留めることで注意したい。
『プレ・インベンション』という教本も平行してやっているが、こちらは対位法で書かれているものも多く、左手と右手が交互に主旋律を奏でる。この移動することもまた難しくて、ただ弾いているだけになることが多い。
それにしても、どうにも左手が弱いのは、ボクが右利きだからだろうか?
でもそうすると、大概の曲は右手で主旋律を弾くことになるのだから、左利きは不利、ということになるのではないだろうか?ハサミとちがって、左利きようの反転したピアノなんて聞いたことがないし、欧米には左利きのほうが多いとも聞くから、ピアノがわざわざ右利きに合わせて作られたわけでもないし。
・・・左利きのピアノ弾きに出会ったら、聞いてみたい。
今やっている『ソナチネアルバム1』という教本は、大旨右手でメロディを、左手で伴奏をする。右手はスラーやスタッカート、クレッシェンドやデクレッシェンドなど、表情豊かな記号がついていて、弾いている時の意識は殆どそちらに吸い取られる。
対して左手は、レガート、もしくはドルチェなどと書かれていて、主旋律の邪魔をしないように、引き立てるように弾かなければならない。その左手に向けられる注意力が不足していて、殆どただ弾いているだけ、というのが今のボクの弾き方だと思う。・・・こうして書き留めることで注意したい。
『プレ・インベンション』という教本も平行してやっているが、こちらは対位法で書かれているものも多く、左手と右手が交互に主旋律を奏でる。この移動することもまた難しくて、ただ弾いているだけになることが多い。
それにしても、どうにも左手が弱いのは、ボクが右利きだからだろうか?
でもそうすると、大概の曲は右手で主旋律を弾くことになるのだから、左利きは不利、ということになるのではないだろうか?ハサミとちがって、左利きようの反転したピアノなんて聞いたことがないし、欧米には左利きのほうが多いとも聞くから、ピアノがわざわざ右利きに合わせて作られたわけでもないし。
・・・左利きのピアノ弾きに出会ったら、聞いてみたい。
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