2008年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

2008.11.15 (Sat)

夕日

3日前、日が落ちた後の、名残の色を見た。赤と紫と橙と、言葉に言い表せない色合いの空。

ほんの15分ほど前には、太陽が消えていく光景が展開していたと思うと、無性に見たくなった。

金曜日の夕方、いつもならフランス語を勉強している時間だが、この日は夕日が見えるように、窓際に椅子を寄せて座った。テキストがわりに、手には『星の王子さま』…翻訳もあと少しで終わるところまできた。

先生に、夕日を見るのだと伝えたら、先生も窓に椅子を向けた。

沈む前の夕日は、眩し過ぎて、直視出来ない。やがて、落ちはじめると、太陽は途端に紅く燃えだす。その紅があまりに強くて、燃え付きてしまわないか、子供の頃には心配したものだ。

みるみるうちに、太陽は小さくなっていて、最後の光も消えた。紅い空は、紫に染まり始め、夜の帳が東から、緩やかに降りてくる。

そうしてフランス語を教えてくれる先生と2人、一つの音もないこの出来事を見届けた。

それから2人して、ボク達が読んでいるこの『星の王子さま』の中で、小さな王子さまが、小さな自分の星で、ただ一人、夕日を見たことを、何十回も、繰り返し見たことを思い出した。

一人ぼっちの王子さまは、悲しい時に夕日を見たけど、ボクは一人じゃなかった。傍には先生がいて、王子さまと飛行士がいて、サン=テグジュペリがいた。

そして、この夕日を一緒に見たいと想像する大切な存在達が、同じ空の下にいる、そのことが何より喜ばしいことに思えた。
23:14  |  idée  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2008.10.20 (Mon)

海に還る

子供の頃、古びた陳列棚に、大きな貝殻が飾られていた。

“大きな”といっても、実際には大人の掌に収まるくらいのものだったろう、アイボリーのトゲトゲの貝殻に、“耳を当てると波の音がする”と教えられて、耳に押し当てた。
ザーという音がしたが、これが波の音かどうかなんて解らなかった。ボクはその頃、まだ海を見たことがなかったから。

ボクが知っている海は、幼稚園で配布される冊子の、夏の号に載っていた海の写真と、写真に添えられた海の歌の歌詞、それからアンデルセンの人魚姫に描写される海だった。

見たことのない海はボクには、様々な想像をもたらしただろう。今覚えているのは、広い海をさ迷う小船のイメージだ。

何故そんなイメージが湧いたのか?

“海は広いな大きいな”で始まる歌がその背景にあるように思う。この歌詞に“行ってみたいなよその国”とある。ボクは、この歌詞から、遠い外国が海によって繋がっていることを知った。
知らないうちに、外国に行ってしまって、帰られなくなるかもしれない。

幼稚園の頃、ボクは家に帰れなくなることを心配していたらしい。
貝殻の音も、何処か不安な、引きずり込まれるような感じがして、怖々聴いていた。


実際、家に帰れなくなる夢を、子供の頃はよく見た。(大人になってからは追い出される夢を見る)

帰る所がないボクは、自分で帰る場所を作った。そして今はそこそこ満たされていると思う。

ただ、時々、淋しかったことを、ぼんやりと思い出し、そういう気持ちを抱えて、海をぼんやりと想像する。

テーマ : 日記 ジャンル : 日記

20:37  |  idée  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.09.07 (Sun)

物語の主人公

本を読んでいて、時々内容が頭に入ってこなくて、何度も字面だけを追っていることがある。そういうときは結局未消化になるので、軽く読んで先に進んでしまえばいいのかもしれないが、何度か足踏みをしている時がある。

高校生の時、いわゆる文学作品を読む時に、特にそういうことがあった。トーマス・マンやモーム、ドフトエフスキー・・・今思えば、高校生には早い内容だったが、理解できない頃に目を通しておくことも悪くなかったと思う。

その頃ボクは早く、世界の真実を知りたかった。

これらの小説は、どれも勧善懲悪ではなく、子供が思いを肩入れするようなキャラクターはいない。主人公は悩み、苦しんでいることが多く、自分を投影し続けるには少し受け入れがたい。悪事や不貞を働き、あるいは裏切りを、また救われないような騙され方をする・・・読んでいても不愉快になるような、重苦しさを、主人公を通して体験していく。
自分自身が、物語の主人公と同じように矛盾だらけの苦しみを背負った“人間という存在”だと、ぼんやりとは解りはじめているが、まだリアリティがない。そんな時代に読んだ物語は、悪い夢の様な後味だった。


子供向けに書かれた本のスタイルは、主人公が子供の自己投影に値する人物像で書かれていることだろう。それは、人物像にきちんと筋書きがあって、安心して自身を預けられるような存在だ。

そして、大人に向けて書かれた物語は、主人公自身の人格も、立場も、安定を掴んだ先からまた揺らぐ、不安定な存在だ。その不安定さの中に紛れて実は確実さがちゃんとあるのだが、その確実さは、読み手が自分の中にも確実さを見つけていないと、見えてこないように仕組まれている。簡単には見えないからこそ、人生を掛けて求めつづけ、生きる動機にもなりうる。

この世の真実があるのだと、大人になった今でもボクは信じて、追い求めている。

テーマ : 文明・文化&思想 ジャンル : 学問・文化・芸術

23:26  |  idée  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.07.08 (Tue)

ブラックホール

小学校の2年生の夏、ブラックホールの存在を知った。

本屋に並んだ児童書の表紙に「ブラックホールの恐怖」と言ったようなタイトルが提示されていて、本の紹介文には何でも吸い込む驚異と恐怖について書いてあった。

その不気味なカタカナの文字は、ボクを深く引きつけた。その児童書は作り物のお話で、ボクはその頃から、フィクションとノンフィクションにこだわる理屈っぽい子供だった。だから、そのフィクションの話じゃなくて、本当のブラックホールについて書いてある本を読みたくなった。

読みたい、というより、読まずにいられなかった。ブラックホールをよく調べておかないと、生命の危機かもしれないと思った。

その頃と前後して、写真と絵が沢山載っている子供用の図鑑シリーズのうち、「星」というタイトルの図鑑を買ってもらった。そして、ブラックホールは、今見つかっているところでは、はくちょう座の近くにあるらしいこと、そこはとても遠いので、当面地球人には危険がないことを知ってほっとした。
何しろ光でさえも吸い込んでしまう、無敵の存在なのだから、これはもう近づかないでいるしかないのだ。

ボクはこの星の本を読んで、もう一つ気になることがあった。それは、太陽の寿命だった。地球は太陽のおかげでこうして生き物が生まれて、植物が育ち、それを食べる動物がいて、それを食べる人間がいる。その太陽に寿命があることと、その最後には大爆発を起こして、地球はおろかもっと遠くの星まで巻き込んで、みんな消滅してしまう、という記事だった。

これもまた、うんと先の話だと書いてあったので、とりあえず、ボクが生きているうちにその爆発はなさそうだと考えた。そして子供の頭で、ボクの孫のそのまた子供ぐらいになると、もう危ないかもしれない・・・と考えて、その子供達が可哀想だと本気で思った。


それが理由というわけじゃないだろうけれど、今でもボクに子供はいない。そして、今でも子供をもつことを想像すると、この時に考えたことを思い出すのだ。

テーマ : 文明・文化&思想 ジャンル : 学問・文化・芸術

22:19  |  idée  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06.26 (Thu)

出来損ないとしても

この広い世界の、沢山溢れる人間の中に埋もれている、ボクという1人の人間など、とても小さな存在だ。そしてこの世界のどの人間も、同じようにとても小さな存在であり、その小ささにおいてはどんな人間も平等である。

そうした小さなものが集まってこの世界ができているのだから、1人の人間を殺すことは、すべての人間を殺すに値する。
だから、1人を殺す行為も、複数を殺す行為も、その意味合いは等しいように思う。

同様に、もし誰かの存在を軽んじ、ないがしろにしたならば、それは多くの人々を軽んじ、ないがしろにしていることになる。


ボクもまた、人並みに他者を憎むし、羨む。そうした気持ちがボクの中にどうしようもなく沸き起こる時には、その憎い他者はボクでもある。人間である他者を真っ向から否定するなら、同じく人間であるボクは、自分を否定することになる。


自分を信じること、他者を信じること、ひいては人間を信じること。・・・それができないくらい犯罪の渦巻くこの世界。

なんて矛盾!

人間って出来損ないなんだろうか?
そうだとしても、出来損ないでも消滅できないのだから、彷徨いながらも向きあいたい。

テーマ : 文明・文化&思想 ジャンル : 学問・文化・芸術

00:58  |  idée  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT